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連載:PFAS昔話

【PFAS昔ばなし その1】

PFOS、PFOAに続いてPFASが規制されつつあります。この調子だとフッ素系化合物がほとんど使えなくなるかもしれません。何でこうなるのか、ここに至るいきさつを整理しておこうと思います。

(ご注意)
化学物質規制に限ったことではありませんが、Webに公開されている情報だけがこの世界の全てではありません。当事者しか知らないことが全体を方向付けている場合があることは、組織の中で働いたことのある方ならお分かりいただけるでしょう。というより、世の中のことはほとんどがそうでしょう。書けることと書けないことはありますが、何がこの規制を動かしているのか、つまり働きかけるべき相手は誰なのか、また、何が狙いなのか、つまりどう働きかけるべきなのか、についてお考えいただければ幸いです。
刺されるまではこの連載を続けたいと思います。
1回で終わったりして。

[1. 事の起こり]
 直鎖のフッ素化合物PFCs(Polyfluoroalkyl chemicals)は1950年代から商業利用され、米国人のPFOS、PFOA、PFHxS(perfluorohexane sulfonic acid)、PFNA(perfluorononanoic acid)、その他フッ素化合物へのばく露が2003年ごろから報告されています。
 米国のNHNE(National Health and Nutrition Examination、全国健康栄養調査)は、1999-2000年に採取した米国人の血清サンプル中のPFOA濃度は最大12ppt(1)、PFOS濃度は最大30pptと報告しています(2)。
 その後、2003-2004年に採取された2,094の血清サンプルについて分析したPFOS、PFOA、PFHxS(3)濃度は、1999-2000年の調査結果より低い値が得られ、これは2002年のPFOS生産中止によるものとされています(4)。
 つまり、文献だけがこの世界の全てだと考える人達にとっては、PFOSもPFOAもPFOA関連化合物も既にこの世にはなく、人と環境への影響は低減しつつあり、廃絶することに何の障害もない、と思ったとしても無理はないかもしれません。
 実例を一つ。PFOS廃絶をストックホルム条約に提案したKEMI(Swedish ChemicalsAgency)のProf.W*******は、UNEPのとあるワークショップでストックホルム条約への対象物質提案書式の記入方法を、自身が書いたPFOS廃絶提案書を例に、自信たっぷりに講義していました。その次のセッションで、私はPFOSの産業界での利用状況をプレゼンしてPFOS廃絶が2008年現在の社会システムに与え得る危険性を説明しました。プレゼン後に私はProf.W*******に感想を聞こうとしたのですが、Prof.W*******は”I have retired already.”と会話を拒絶しました。ついさっきまで自信たっぷりに講義していただろうと言いかけたら足早に去って行き、その後は私を避けていました。”You’ve been…”と切り出したのがまずかったか、と後で気がつきました。その後Prof.W*******はPOPRCに参加していません。
 POPRC3でも面白い話があったのですが、それはまた次の機会に。
 言うまでもないことですが、Prof. W*******を揶揄する意図はありません。彼は彼なりに自分の仕事で成果を積み上げてきたのだと思います。PFOS廃絶の提案も彼の重要な成果の一つになっていたであろうことは、PFOS廃絶提案書を講義していた彼の自信にあふれた様子を見ていればわかります。それらの成果によって、KEMIの所属で(本職はどこかの大学だそうですが)UNEPのワークショップで講師を務めるまでになったのでしょう。しかし廃絶を提案する前にPFOSの実態を調べるという地道な作業を怠ったことが、致命傷になりました。

 こういう内容になってしまうので、いずれどこかから刺されるかもしれません。誤解のないよう断っておきますが、人と環境に有害な化学物質を野放しにしろと言っているのではありません。本当に有害なのか?どう有害なのか?廃絶してもこの社会システムを維持できるのか?管理して使う方法はないのか?それだけです念のため。
 なお、便益を得るためにあるリスクを下げることによって、別のリスクが上がることをリスクトレードオフと言います。化学物質規制を考えるにはリスクトレードオフの概念が必須なのですが、リスクトレードオフについて正確に書くとかなりの分量になるので、残念ながら割愛します。正確に書けるほどの専門ではない、というのもありますが。御関心のある方は産総研が公開しているリスクトレードオフ評価書(5)を是非ご覧ください。
 来月はPFOAとPFOSについて、その規制に至るいきさつをお送りします。

(1) まさかとは思いますが念のため:pptはパワーポイントではなく、parts pertrillion、ppmの1000分の1のさらに1000分の1という濃度単位です。
(2) https://wwwn.cdc.gov/Nchs/Nhanes/1999-2000/SSPFC_A.htm
(3) PFHxS: perfluorohexane sulfonic acid 
https://ehp.niehs.nih.gov/doi/full/10.1289/ehp.10598
(4) A.M. Calafat, et al, Environmental Health Perspectives, 2007
https://ehp.niehs.nih.gov/doi/full/10.1289/ehp.10598
(5) https://www.aist-riss.jp/assessment/12151/


【PFAS昔ばなし(その2)】
字数を減らすため、ですます調をだちょう(ダチョウではなく「だ」調)に変えました。ご了承ください。
[2. PFOAスチュワードシップ]
 EPAによれば、米国のPFOS製造メーカーは2002年までにPFOS生産をボランタリーに中止し、2006年には日本企業2社を含む8社がEPAからのPFOAスチュワードシップ参加要請を受け、PFOA及びPFOA関連化合物の生産を2015年までにボランタリーに中止することに合意した(1)。
 スチュワードシップとは元々は宗教的概念であって法による強制ではない。キリスト教徒でない筆者には理解しづらいが、神の恵みであるこの世界を人間は責任をもって管理しなければならない、というのがスチュワードシップの本来の概念らしい。良い管理者(steward)は所有者が誰であるか知っており、所有者である神は人間にこの世界の管理を全権委任しており、最終的に人間は全てのものを神に返さなければならない、というものであるらしい。
 とはいえEPAからの依頼(1)となればスチュワードシップという名称であっても、宗教云々ではなく国による環境安全への協力依頼である。これによってPFOS、PFOA、PFOA関連化合物の生産は米国からなくなった事になるが、生産が米国から日本と中国(2)に移っただけのことであり、産業界では引き続きPFOS、PFOAが使用されていた。
 ところで、日本でもPFOAスチュワードシップをやるべきだ、ということをいう人がたまにいた(今ならPFASスチュワードシップだろうか)が、キリスト教国でない我が国でスチュワードシップなどありえないことはおわかりいただけただろう。言葉のアヤにこだわるな、と言われるかもしれないが、スチュワードシップに代わる概念が日本には無いので、行政からの要請という形にならざるを得ない。しかし法の裏付けのない要請など行政がする訳がないことはお分かりいただけるだろう。
[3. PFOS]
 PFOSが廃絶されるかもしれないと日本の電機電子4団体(3)が知ったのは2005年頃だった。米国の工業会から日本の関連する工業会へ情報提供があり、その工業会から電機電子4団体に情報が入った。当初誰もPFOSが何であるか知らなかったが、調べたら様々な用途に使われていることがわかった。そのほとんどが代替不可能なエッセンシャルユースだった。ストックホルム条約のことも知らなかったので専門家のO先生と経済産業省から御教授いただき、このままでは製造業が大変なことになることがようやくわかった。しかしこの時点で既にPFOSはストックホルム条約でAnnex Dを通過し、POPsと認定されてしまっている。POPsとされた物質はAnnex AかBに入るしかない。PFOSの代替技術が実用化していないこの時点で、このままKEMIの提案通りにPFOSが廃絶されたら製造業は止まり、製造業が維持しているこの社会システムも止まるかもしれないという危機感を我々は抱いた。これは日本だけの問題ではなく、提案したスウェーデンを含む世界中の社会システムを維持できるかどうかという問題である。
 さあどうやって製造業を守り、製造業が支えているこの社会システムを維持するか。電機電子4団体ではアドホックチームを作ってO先生の御指導を仰ぎながら、経済産業省と連携して活動を始めた。議論の末に我々がたどり着いた戦術は、Annex Fに基づいて、現在の社会を維持するためにエッセンシャルユースを守る、というものだった。色々な関係先が関わるので詳しいことは書けないことをご了承いただきたいが、これがこの時点で唯一の現実的な方策だった。

(1) https://www.epa.gov/assessing-and-managing-chemicals-under-tsca/fact-sheet-20102015-pfoa-stewardship-program
(2) UNEP/POPS/POPRC.4/INF/17
(3) 電機電子4団体:JEITA、JEMA、JBMIA、CIAJ


【PFAS昔ばなし(その3)】
[ロビーイング]
戦術が決まり、ロビーイング開始である。ロビーイングの鉄則は”One voice”。複数の国/地域の直接の利害関係のない複数の産業界が、規制当局に対して同じ意見(One voice)で働きかけることである。利害に基づく特定の個人や個社ではなく、異なる複数の工業会の総意が一致することで、規制当局も正当な(利益誘導のためではなく、社会経済的な実態に基づく)意見だと受け取ってくれる。そのため、経済産業省に御理解いただいているといっても電機電子4団体だけで条約に働きかけるのは現実的ではない。まずは国内の関係する各工業会様に御理解をいただいて日本国内のOne voiceを作ることが第一歩となる。アドホックチームはPFOSに関わるいくつかの工業会様に直接伺ってPFOSと条約についてご説明し、①我々がつかんでいないエッセンシャルユースがないか、②代替可能な用途には代替を検討いただくよう会員企業各位に周知していただけないか、③Annex Fに記載できる技術情報があればご提供いただけないか、といったご協力をお願いした。幸いにして、どの工業会様からもご理解が得られた。
次は海外とのOne voiceを構築しなければならない。PFOSがエッセンシャルユースであるのは日本だけではなく、電機電子産業を持つ他の国でも同様である。元々の情報は米国から来たが、残念ながら米国はストックホルム条約を批准していない(2006年当時)。その代わり、米国の関連工業会は弁護士を雇って我々と共闘してくれることになった。他にOne voiceの仲間として我々が考えたのは中国と韓国だった。PFOSをエッセンシャルユースとする日本製の資材・部品は当時多数あったがその中でも中国と韓国の産業にとって重要な資材があったからである。
国内の関連工業団体様経由で両国の関連工業会(に相当する部署)に情報提供し、条約への働きかけについて打診したところ、中国が賛同してくれた。日本から条約の技術的説明を送ったところ、そこから先は中国が自発的に動いてくれた。元となる情報は日本から送ってあり、随時連携を取っていたので、中国とはOne voiceが成り立ち、条約に対処することができた。韓国からは終始反応が無かった。

ストックホルム条約へのロビーイングの主戦場はPOPRCである。この時点で直近となるPOPRC3ではAnnex Eに基づくrisk profileの審議とAnnex Fに基づく社会経済的検討が行われると予想された。risk profileは生産量と環境への放出量を考慮した毒性学的な議論であり、産業界から寄与できるものはほとんどない。しかしPOPRC全体の審議の参考情報として、Annex Fの審議に入る前の段階で、この時点の社会システムを維持しているPFOSの役割をPOPRCに情報提供することは有用である。One voiceの原則から、POPRC3開催前にこの戦術を参考情報とともに中国にインプットしておいた。インプットの時点では予想していなかったが、結果としてこれが有利に働いた。
 

【PFAS昔ばなし(その4)】
[POPRC3その1]
ここでストックホルム条約の審議の流れと各会合の構成を簡単に説明しよう。
条約の議決機関はCOP(締約国会議:Conference of the Parties)で、COP1からCOP3までは毎年、COP4以降は隔年で開催されている。COPではPOPRC(検討会議)(1)で採択した勧告に基づいて議論が行われるが、その勧告はPOPRCでコンセンサス方式によって採択される(2)。POPRCは毎年10月頃(年によっては9月、2021年は例外的に1月に)開催され、COPは例年5月頃開催されている。COPの開催時期がかなりの割合で日本のゴールデンウイークにぶつかっているのはどういう訳だ(3)。それはともかく、こういう構造になっているので、PFOSのエッセンシャルユースを認める勧告をPOPRCで取りまとめ、それに基づいてCOPで決定しなければならない。
実はこれが成功しても、それで終わりではない。我が国の事業者に実効力を持つのは条約ではなく化審法だからである。したがって、エッセンシャルユースが使えるように条約を修正したら、それが化審法に反映されることによって、ようやく製造業の危機は防げる。と、この時は考えていたのだが、現実は思わぬ方向へ進んでいった。その顛末はまた別の機会に。

POPRCはコンセンサス方式で勧告を採択するのだが、これが一筋縄ではいかない。コンセンサス方式なので、各国の委員全員が納得しなければならないからだ。一筋縄でいかない一番の理由は、各国のPOPRC委員が必ずしも化学物質規制や毒性学の専門家ではない、という点にある。多くの委員は各国環境省の担当官なので全くの素人ではもちろんない。しかし自国の環境保全が最優先課題なので(これは官僚として当然である)、先進国の工業よりも自国の環境を取ることになる。ということの意味を、私はPOPRC3に参加して思い知った。我が国からは毒性学の専門家であるK先生が出席して、先進工業国である日本の立場を踏まえて議論をリードしていただいた。毒性学がご専門であり、かつ産業界の実態にもご理解が深いという、産業界にとってはこれ以上の適任はない方だった。他国にも毒性学に詳しい委員はいたが、POPRC3の委員は31人(4)、うちいわゆる先進国とされる国の委員は10人に満たない。さらに先進工業国となるとさらに少ない。つまり3分の2以上の委員にPFOSのエッセンシャルユースが工業生産に不可欠であることを理解していただいて、PFOSの廃絶が途上国や提案国のスウェーデンを含む世界の社会システムに与えうる危険性を全委員に納得してもらわないといけない。これがコンセンサス方式の壁である。多数派工作というものができないのだ。
ということは事前にO先生から聞いてはいたのだが、現実の厳しさは現場に行って初めてわかるものである。私の理解が甘かっただけなのだろうが。

(1)条約第19条第6項
(2)条約第19条第6項第c号
(3) COP10に限ってはコロナの影響で、2021年7月にオンラインで行った後に2022年6月に改めてface-to-face会合という変則的な開催となっている。
(4) UNEP/POPS/POPRC.3/INF/28

来月はPOPRC3でのロビーイングについて、差し支えない範囲でお送りします。

 

【PFAS昔ばなし(その5)】
[POPRC3その2]
ロビーイングの主戦場であるPOPRCの構成と審議の進め方を簡単に紹介しよう。ただしPOPRC3、4(2007-2008年)当時の構成なので現在とは変わっているかもしれないがご容赦ください。

POPRCにはprimaryという、委員全員が出席する正式会議がある。定訳はないようだが、総会だと思えばよいと思う。POPRCの決議はこのprimaryで全員合意によるコンセンサス方式によって採択される。POPRC期間中の会合はprimaryだけではなく、臨機応変に組織され開催されるad-hocやintersessionalがある。ad-hocは夕方に突然設立がアナウンスされ、20時から開始されたりする。アナウンスされるのはad-hocの議題と会議室と開始時間だけ。つまり平気で深夜まで、下手すれば明け方までやっているわけだ。これは辛かった。深夜2時には意識が朦朧としてくる。ネイティブ英語で(Oxbridgeは米俗語よりもわからない)まくしたてられるともはや何語なのかわからない(1)。隣に座っていた欧米人に「あれは英語なのか?」と聞いたら「俺もわからん」と言っていた。これ以上聞くのは時間の無駄なので "Could you kindly speak in the International English?"と言ったら馬鹿にしたように両手を広げて現地語でしゃべり続けていた。結局その人が何を言ったのかほとんどわからなかったが、そのあとの議論には何の支障もなかったので、意味のないことを喋っていたのか誰一人通じていなかったのか、少なくともどちらかだろう。
いや、愚痴るのはこの辺にして・・・

POPRCでのロビーイングは、これらad-hocやintersessionalでの議論もあり、また通路やコーヒーブレイクで立ち話を積み重ねたりする。POPRC開催までの事前活動も当然重要だが、内部事情もあるので割愛します。POPRC3では委員が31名、各国政府オブザーバーが40名、NGOが25名、他7名、計103名(2)もいるので、話す相手を選ばないと時間が無駄になる。こういう場合どうするか、会社員なら誰でもわかるでしょう。声の大きい人を味方につける、である。声の大きい人は、①自国の利益のためにアグレッシブに活動する委員やオブザーバー、②途上国の委員に影響力を持つNGO、③議長、ad-hoc主査、ドラフター(3)といった人達、などである。

メルマガの字数制限があるので結論だけ書くと、ad-hocやintersessionalでの議論をprimaryでとりまとめた結果、POPRC3の決定事項(Decision)として、PFOS及びその塩とPFOSFをAnnex A or Bに記載することをCOPに勧告するが、同時にAnnex Fに基づく社会経済的情報を収集することとなった(4)。これを受け、結論はPOPRC4に持ち越しとなった。

(お知らせ)PFAS規制の背景と議論の推移を読み解く参考として、ストックホルム条約ではどのように議論が進むかPFOSを例に紹介していますが、欧州ではPFAS規制に向けた準備が進んでいるので先を急いだほうがよさそうです。PFOSの件は来月号で手短に/強引にまとめますのでご了承ください。


(1) こういうことを書くと、英語もわからないのにロビーイングなんかするからだ、と言い出す人が必ずいるものですが、津軽弁と江戸下町言葉と関西弁と鹿児島弁が飛び交う日本語の会議を想像してみてください。これを夜通し英語でやられる訳です。会議は標準語でお願いしますよほんとに。
(2)http://www.pops.int/TheConvention/POPsReviewCommittee/Meetings/POPRC3/POPRC3documents/tabid/77/Default.aspx
(3) この場合は、ad-hocやintersessionalの議論をまとめてprimaryに提出する議案を書く人。primaryでRecommendation原案を作る人でもある場合が多いので、この人の認識が成果物に反映されることが多い。
(4) Decision POPRC-3/5

 

【PFAS昔ばなし(その6)】
[6. POPRC3とPOPRC4]
PFAS規制の背景やストックホルム条約の進み方を読み解く手がかりとして、PFOSを例に経緯を7月号からお送りしています。

〇NGOの影響力
POPRC3,4ではPOPs専門の某NGOがオブザーバー参加していた。無視できない影響力を持つNGOらしく、途上国の委員がそのNGOのリーダー格と親しく話しているのを何度か見た。大の大人同士が話しているのを見れば上下関係があるかないか、どちらが上か、大体わかる。あれは途上国の委員がNGOのリーダーから、そうですね、説明を受けている感じ、と言えば角が立たないでしょうか。案の定、その後のprimaryでその委員がNGOの主張通りの意見を、(議論の脈絡とあまり関係なく)主張していた。
お断りしておくが、そのNGOを非難するつもりはない。世の中には攻撃的なNGOもあるが、このNGOは理性的だった。リーダー格の一人と話をしたが、農薬が環境に多量散布されることによる環境汚染を止めることの意義を穏やかに話していた。PFOSが農薬でなく(1)工業用であること、半導体工程ではPFOSは製品に残留せず、工場内で回収されていることを説明したら、「それは素晴らしい」と言っていた。そこに欺瞞は感じられなかった。PFOSを廃絶する必要はないことを、そのリーダー格は認識したと思う。
ところが、である。そのNGOは4,5人いたと思うが、メンバーの一人の女性がprimaryでこんな発言をした。「私はアラスカに住んでいる。私たちは家の近くで採れる魚を食べている。魚を料理していると内臓が異常に大きく変化して奇形になっている。私の知り合いのおばあちゃんが癌で亡くなった。魚をここに持ってきてみんなに見てほしい。」最後は涙ながらだった。
これに呼応した途上国の委員が、あたかもPFOSのせいでその女性の知り合いが癌で亡くなったかのような発言をしたのはびっくりだった。根拠がないことを議長が指摘して話はそれで終わったが、こんなメロドラマの相手もしなければならないとは。
専門家会合であればPFOSの発がん性(POPRCにPFOSの発がん性情報はない。IARCではPFOSの発がん性は分類されていない)とフードウェブの因果関係から棄却されるべき、そもそも発言すらされないものであろう。しかしPOPRCは非専門家が多数を占めるコンセンサス方式である(2)。ごく一部でも感情的にPFOSを否定する人がいるとその影響は無視できない。POPRCの意思決定プロセスについて、そんな危うさを考えざるを得なかった。今はK先生もいるし議長はしっかりした人だから心配はないが、人はやがて入れ替わる。その時にPOPRCが科学的かつ理性的な結論(3)を出せるのだろうか。そんな不安が頭をよぎったが10年後にその不安が現実のものになろうとは(4)思いもしなかった。

〇現実を知らせる
10月号に書いたように、ほとんどの委員は各国環境省の官僚で、化学物質や毒性学の専門家ではなくPFOSなんてそれまで聞いたこともない。したがって7月号に登場したProf.W*******のような学者が集めた文献情報と条約の手順に従って議論を進めてコンセンサスに達する。ということは事前にO先生から御指導いただいていたので、Annex Fに基づく情報として
・代替技術なしにPFOSを廃絶したら全世界の社会システムを維持できないこと
・代替を進めているが、代替不可能なエッセンシャルユースがあること
・PFOSは日本のエッセンシャルユースにおいては、工程内で回収され環境に漏洩しないこと
を理解してもらうため、その実例としてノートパソコンのスケルトンモデルを某企業様からお借りして会場内の人通りの多い通路に展示した。通る人を片っ端から捕まえて「ノートパソコンです。あなたも持っているでしょう。ここに半導体が入っています。見えますか?」といった感じで、PFOSがなくなったらあなたの国の社会システムを維持できるのかどうか考えていただいた。
また、intersessionalに時間と部屋を確保してPFOSの実態をプレゼンした。10人も来てくれればいいんだけどね、と話していたら部屋に立ち見が出るほど(おそらく50人以上)来てくれた。事前の根回しが大事なのはどこでも同じである。
20分のプレゼン後に多くの質問が来たが、やはり一番の関心事は「PFOSは日本から出ない(うちの国に入ってこない)んだな」である。半導体やエッチング用途ならPFOSは製品に含有されないこと、工程で使うPFOSは工場内で回収されていること、を説明すると納得していた。
自国の環境を保全すると同時に、自国の社会システムを守るのは官僚の責務である。PFOSのエッセンシャルユースの必要性はほとんどの委員に理解していただいたと思う。その効果もありPOPRC委員のK先生のご尽力もあって、POPRC4のRecommendationには日本が提出したエッセンシャルユースが記載されてCOPに回されることとなった。

〇COP4
電機電子4団体PFOSアドホックチームは最少人数でCOP4に参加して最終決戦を闘う準備を進めていた。ところがCOP4の時期にH1N1インフルエンザが世界的に感染拡大した。WHOが国際緊急事態を宣言したのは4月24日、COP4の直前だった。とあるアドホックメンバーの企業が、それを理由にCOP4への海外出張を禁じた。1社がやると他の社も倣い、結局アドホックチームはCOP4に参加できず、COP4に出席した経済産業省のT課長補佐(当時)の後方支援を日本からメールベースで行うことになった(5)。T氏は精力的に活動し、ジュネーブ時間の明け方まで粘り強く交渉を続け、Annex Bを勝ち取ったうえ、日本が提案した7つのエッセンシャルユース全てを条約に記載することができた。日本の製造業が生産を止めることなくPFOS代替にソフトランディングできたのはT氏の功績によるものである。
という成果が出たことを確認した後で、海外出張禁止を最初に言い出した張本人が「僕は本当は〇〇〇君を行かせたかったんだよ」と言ったらしい。それを聞いて「思わず殴りそうになった」という話が、アドホックチームとその周辺でしばらく話題になっていた。そいつが誰だったのか、私は覚えていない。

ストックホルム条約の進み方を読み解く手がかりとして、PFOSを例に経緯をお送りしていますが、欧州ではPFASの議論が進んでいます。それに間に合わせるためPFOSの件は今月号で化審法まで終わらせるつもりでしたが、ここまで書いて既に2700字。メルマガの許容量を超えてしまったので、残念ですが化審法の件は来月号に持ち越します。ご了承ください。PFOSの件は、今度こそ来月で終わらせます。


(1) 農薬としてはハキリアリ用殺蟻剤原料としての用途があるが、日本ではこの用途はない。
(2) コンセンサスが得られない場合の最後の手段として、投票による2/3以上の合意でRecommendationが成立することが条約第19条第6項には規定されているが、発動することはないらしいよとUNEP事務局が言っていた。
(3) しかし条約第8条にはa flexible and transparent wayとしか書いていない。第8条にはLack of full scientific certainty shall not prevent the proposal from proceedingともある。理性的かつ科学的に進める原動力はPOPRC委員次第ということか。
(4) 5月号【4. 特集:PFOAにまつわる法規制など(その4)】に書いたように、PFOA関連化合物のPFOAへの分解性についてPOPRC12で審議した形跡がないことが、その一例。
(5)今ならWeb接続だろうが、問題はそこではなく、日本にいながらジュネーブ時間を過ごすことの過酷さである。しかも会議はジュネーブ時間の朝から明け方まで続く。これを日本でバックアップすると時差が2重にのしかかって来る。3日目にもなると目を開けたまま白昼夢を見たりする。しかも世間はゴールデンウィーク。ほぼ地獄と言えよう。

 

【PFAS昔ばなし(その7)】
[7.化審法]
〇化審法改正
 COP4でPFOSのAnnex Bを獲得した2009年時点の化審法(平成十五年改正)では、ようやく手にしたAnnex Bの「認められる用途(Acceptable purpose)」が使えない規定になっていた。
 平成十五年改正化審法では、使用できる第一種特定化学物質(以下、一特)の用途を政令で認めることを第十四条で定めていたが、認めるための要件の一つが「当該用途が主として一般消費者の生活の用に供される製品の製造又は加工に関するものでないこと」だった。しかしAnnex Bの認められる用途は半導体製造工程や電子デバイス製造工程など「一般消費者の生活の用に供される製品の製造又は加工に関する」ものである。これでは日本が提案したAnnex Bの認められる用途が、条約では認められても日本国内で認められないという本末転倒な事態となってしまう。おかしくないですか?と我々が言うまでもなく、経済産業省ではこの点を認識していた。そこで経済産業省はPFOS及びその塩とPFOSFを化審法一特物質に追加するに際して化審法を改正し(1)、「一般消費者の生活の用に供される製品」という文言が削除された。これでようやく、日本が条約に提案した用途が日本国内で使えるようになった。
 この時の化審法改正が2段階で行われたことをご記憶の方もおられるだろう。1段階目が平成21年改正・平成22年4月施行、2段階目が既存化学物質について数量の届出等を求める平成23年4月施行だった。2段階にせざるを得なかった理由が、条約第二十二条(1)にある、改正の通報の1年後の効力発生である。

〇法の記載:PFOSと「その塩」
 条約Annex B本文に記載されたのはPerfluorooctane sulfonic acid (CAS No:1763-23-1), its salts and perfluorooctane sulfonyl fluorideである。塩はAnnex Bに次のように注記されている。
-------------------------------------------------
For example: potassium perfluorooctane sulfonate (CAS No: 2795-39-3); lithium perfluorooctane sulfonate (CAS No: 29457- 72-5); ammonium perfluorooctane sulfonate (CAS No: 29081-56-9);(以下略)
-------------------------------------------------
一方、化審法施行令(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律施行令)第一条では
-------------------------------------------------
十七 ペルフルオロ(オクタン-一-スルホン酸)(別名PFOS。以下「PFOS」という。)又はその塩
十八 ペルフルオロ(オクタン-一-スルホニル)=フルオリド(別名PFOSF)
-------------------------------------------------
と、Annex B本文の通りに書かれており、注記は法には書いていない。

 ここで話はPFOAに飛ぶが、2019年改訂ストックホルム条約Annex A本文にはPerfluorooctanoic acid (PFOA), its salts and PFOA-related compoundsとされており、以下が注記されている。
-------------------------------------------------
PFOA-related compounds which, for the purposes of the Convention, are any substances that degrade to PFOA, including any substances (including salts and polymers) having a linear or branched perfluoroheptyl group with the moiety (C7F15)C as one of the structural elements;
注記には、PFOA関連化合物ではない化合物群5種類も記載されている。
-------------------------------------------------
 このような書きぶりなので、PFOSの塩の例に倣えば化審法政令第一条にはPFOA又はその塩、及びPFOA関連化合物、と注記なしで書かれるのだろうか。だが化審法第二条第二項第二号には一特の定義として、自然的作用による化学的変化を起こしやすく、それによってPFOAを生成すること(意訳)が規定されている。しかし、PFOA関連化合物というのはフッ素化合物でしょう。自然に分解しやすいフッ素化合物なんてあるんだろうか。化学屋さん、特にフッ素が専門の有機屋さんのお考えを聞いてみたいものです。
 この辺のことがPOPRCで科学的に検証されていれば私などが気を揉むこともないのだが、POPRC12の文書(2)にはPFOA関連化合物が分解してPFOAを生成したデータは”up to 40% of the initial 8:2 FTOH are degraded to PFOA after 7 months.”だけで、これも” Recent degradation studies”という記述のみであって自然に分解したのかどうか条件の記述がない。POPRC文書が引いている参考文献を見てもこれ以外にデータは見当たらないので、PFOA関連化合物が自然的作用によってPFOAを生成しやすいものなのかどうかわからない。だが日本はストックホルム条約を批准しているから、条約を担保「するために必要な法的措置及び行政措置をと」らなければならない(条約3条第1項第a号)。どうするんだろう。まさか主権国家たる日本国が条約の事情に合わせて法を変えるようなことなどあろうはずもないので、政令の書きぶりを工夫して、自然的作用による化学的変化によってPFOAを生成しやすいPFOA関連化合物だけを一特に指定するのだろう。そうでなければ法に反する政令が出来てしまう。法治国家たる日本でそんなことがあるはずがない。

(お詫び)先月号で「PFOSの件は来月で終わらせます」と見得を切りましたが、終わらせようとすると4000文字になってメルマガ記事の限界をはるかに超えます。
JEMAIのセミナーやコンサルの宣伝のための無料メルマガであるという体裁を営業的に考慮して、PFOSの件は来月号まで引っ張ることにしましたすみません。
 申し訳ないので次号予告です。
〇技術基準
 化審法第十七条(当時。現行は第二十八条)第二項に従い、技術基準を定めた経緯。法に関わることがこんなに面倒だとは。
〇PFOS代替
 技術基準が省令公布されてまさかの数か月後、一部のエッセンシャルユースが不要になった。どういうことだ?。
 今度こそ本当にPFOSの件は来月号で終わりです。1300文字程度を予定しています。

(1) 「そこで・・・化審法を改正し」と、いとも簡単に書いたが実際は全く簡単ではない。条約第二十二条第3項第c号及び第4項には、改正の通報の1年後に締約国について効力を生ずることが規定されている。条約事務局が日本政府に通報したのは7月頃らしいので、日本は2010年(平成22年)7月までにAnnex A, Bの改正を反映した法整備を行わなければならない。政省令ではなく法改正なので、憲法第四十一条に従い国会を通過しなければならない。COP4が5月、事務局からの通知がおそらく7月、そこから次の通常国会に向けて文案の調整と各方面との折衝、しかも同じ法律を2年続けて法改正する事情説明など、事務方はさぞ大変だったでしょう。
(2) UNEP/POPS/POPRC.12/INF/5

【PFAS昔ばなし(最終回)】
[8.化審法その後]
〇技術基準
 化審法でPFOSのエッセンシャルユースが使えることになったので、法第十七条(当時。現行は第二十八条)第二項に従い、PFOSに関する技術上の基準を主務省令で定めなければならない。
 技術上の基準なので、経済産業省にエッセンシャルユースを要請した企業の製造工程(保管と管理を含む)をカバーする内容でなければ意味がない。そのため当該企業は、技術基準策定にあたって経済産業省に御協力した(機微に触れる(1)ので、あっさり漠然とぼかして書いています)。経済産業省担当官と技術的に打ち合わせて省令案を出しても内閣法制局から数回差し戻しされ、担当官と苦笑いしながら文言を修正してなんとか技術基準が出来上がった。

〇PFOS代替
 技術基準が省令公布されて(2)、やったーこれで全部終わったーっ。と安心しきって数か月たった頃、経済産業省から問い合わせが来た。「某社がエッセンシャルユースが必要ないと言っているがどういうことか。」は?必要ない?必要だからこそエッセンシャルユースのはずだ。必要だというからあれだけ苦労して条約でも法でも使えるようにしたのだ。本当にどういうことなのだろう。寝耳にみみず(3)とはこのことだ。
 聞けば、エッセンシャルユースとはいえ化審法第一種特定化学物質を使うのは企業として外聞がよろしくないので代替した、ということらしい。
 代替できるのか?つまりエッセンシャルユースではなかったということか?
 POPRC4では経済産業省のT氏が、PFOSのエッセンシャルユースの代替は”Require more than 10 years”であることをprimaryで情報提供している(4)。もちろんそれはエッセンシャルユースを届け出た複数の企業からの情報に基づいているのだが、経済産業省がPOPRCに公言したことが、現実とは異なってしまったことになる。
 条約Annex BのPart III第4条には、認められる用途であってもやがては消滅されるべきことが” With the goal of reducing and ultimately eliminating”という文言で謳われていることを指摘される方もおられるかもしれない。しかし、経済産業省が”morel than 10 years”と公言したことが数か月で実現したことを、UNEPはどう見るだろうか。「なんだ、日本のロビーイストは「今PFOSがなくなったら世界中の社会システムが維持できない」といっていたが、さすが日本の産業界は優秀だな。」と思うのではないか。するとその後UNEPは日本のロビーイングをどういう眼で見るだろうか。いやそれ以前に、産業界を守るためにあれだけ尽力してくれた経済産業省に対してどんな説明が成り立つのだろうか。役所だから、納税者だから、というものではない。信頼関係に関わることだ。
 とは言え百歩譲れば、Annex BとはいえPOPsとされた物質が代替されるのは条約の精神に沿うことではある。しかし、PFOSを使わなければ成立しない工程でPFOSの替わりができる化学物質ということは、それなりに化学的・熱的・紫外線に安定でなければならないはずだ。それらもやがてストックホルム条約の対象になるのではないか?そんな危ない橋を渡るより、条約も法も認める用途で使った方が当面の生産の安定を確保できるのではないか。と言ってみたが、会社の方針とのことでどうにもならなかった。

 何に代替したのだろうか。それらが条約の廃絶対象とならなければ良いのだが。

(PFOSの件はこれで終わりです。長々とお付き合いいただきありがとうございました。PFAS規制の状況は適宜フォローしていきますのでよろしくお願いいたします。)


(1) この「機微」の使い方は民間ではほぼ使わない用法ですが、法令関係は霞が関の特産品なので、そちらの言葉に合わせました。
(2) 平成二十二年厚生労働省・経済産業省・環境省令第四号
PFOS又はその塩及び化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律施行令第九条の表PFOS又はその塩の項第一号から第三号までに定める製品に関する技術上の基準を定める省令
(3) 誤字でもなければ昭和のダジャレでもない。動物行動学者コンラート・ローレンツによれば、コクマルガラスは子や配偶者の口にエサのミミズを詰め込むという給餌行動をするらしい(ソロモンの指環、早川書房、 p.71)。この善意(?)がヒトに向くと、耳の穴にミミズをぎゅうぎゅうと、ローレンツの言葉を借りれば「鼓膜に達するまで」詰め込まれる羽目になる。昼寝しているときにこれをやられたら、さぞびっくりすることだろう。このように、たとえ動機が善いものであっても、その行為の結果にびっくりしてからじわじわ気持ち悪くなることを「寝耳にみみず」と言う(宇佐美調べ)。
(4) http://www.pops.int/TheConvention/POPsReviewCommittee/Meetings/POPRC4/tabid/365/mctl/ViewDetails/EventModID/871/EventID/22/xmid/1290/Default.aspx
→Presentations→Presentation on substitutes and alternatives by Mr. Shuji Tamura (Japan)

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