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特集:リスクアセスメント奮闘記

初めまして、某中小電気メーカで化学物質管理を担当している(やらされている?)J太です。大学では工業化学を専攻しながら電気メーカに就職して、使い走りのように、やれ素材の開発やら、安全対策やら、調達材料管理やら、RoHS騒ぎの時なんて化学系というだけで担当に回されて過酷な労働(今ならブラック企業間違いなし)をこなしたのも、今思えば若かったから。今では、化学物質管理と安全衛生委員長のお役が回ってきた中年技術者です。
(登場人物は架空のもので実際の人物、組織と関係はありません)

その1 いきなりやれと言われても
2014年に安衛法が改正されリスクアセスメントが義務になるお知らせが届きました。嫌な予感がしたのですが、やはり「お前化学系だろ、じゃあリスクアセスメントの担当だから」と上司からの命令。
・・・えええぇ、リスクアセスメントって何? そんなの大学の授業でやったことないし、化学系といわれても材料化学専攻だからリスクのことなんかわかんない。
仕方がないので、厚労省がやってる無料セミナーに行ってみた。胆管癌が発生した作業場があったことからリスクアセスメントが義務化されたとか、リスクアセスメントのやり方がいくつかあることは分かったけど、自分の会社でどのようにすればいいか皆目イメージがわかない。しかし、施行の期限は刻々と迫ってくるし、上司は「もし労基署が来て、何か言われたらお前の責任だからな」なんて脅されるし、相談相手もいない孤独な化学屋はパニックになりそう。誰か救いの手を・・・・・

 

その2 SDSは知ってるけれど
2015年に厚労省からリスクアセスメントの指針がでました。これにはリスクアセスメントの流れが書いてあるので、これさえあれば大丈夫・・・と信じたい。
まずは、自社で使っている化学物質の危険性と有害性を調べることから始めました。そのためにはSDSがそろっていなければいけません。社内で薬品を購入するときは手続きが必要で、いつ何を買ったかはわかります。そして、化学物質なら販売者からSDSが一緒に届けられるはずなのですが、現場に行ってSDSを確認してみると、その実態に愕然。SDSがついてこない原材料がごろごろ。厚労省の調査によるとSDSがきちんと配付されているのは6割程度だとか。しかも、現場にあるSDSを見てみると、発行日がずいぶん古いものや、輸入品だと言って英語版のSDSしかないものがあったりして、まとめるだけでうんざりする作業です。
とりあえずできるとこらから手を付けようと、使用量の多い原材料からSDSをそろえていくことにして販売者にSDSを要求。すぐに持ってくるところもあれば、英語版しかないというところ、HPに書いてるから読んでというところや、SDSは準備してないなんてところまであります。無いものは自分で調べるしかない、結局人海戦術で集めるしかないことがわかりました。これって、すごい工数かかってるけど、生産性につながるわけじゃないので上司の目が怖い・・・

化学物質等による危険性又は有害性等の調査等に関する指針について
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000098259.pdf
職場における化学物質等の管理のあり方に関する検討会
https://www.mhlw.go.jp/content/11303000/000580337.pdf

 

その3 どれがリスクアセスメント対象なのさ?
苦労して主なSDSは集めることができました。このSDSのどこを見ればいいの? 今までSDSはザクッと見て、発がん性や毒性が強くて、やばそうなものだけを作業者に伝える程度だったので、あまりじっくり見たことがなかった。
色々調べてみると、2.危険有害性の要約、8.暴露防止および保護措置、11.有害性情報 あたりに書いてあるらしい。しかし、難しい・・・LD50、TWA、STEL、毒性試験の内容は材料化学の人間にはさっぱりわからない。しかし、上司に言ったら「お前化学系だろ!勉強しろ!」と一蹴。やっぱり、自分で勉強するしかないか、電気会社の化学系ってつらいな。
でも、ちょっと待て、その前にどの化学物質がリスクアセスメントの対象かを調べないと無駄な作業になると、リスクアセスメント対象物質のリストを見てみました。
安衛法改正時に対象物質は640物質だと説明されていたので、そのリストにあるものだけリスクアセスメントの対象にすればいいと考えていたのですが、自社のSDSリストと比べてみると何か違和感が・・・・
例えば、酢酸銅を使っているんだけど、640物質のリストには酢酸銅の名前はない。じゃあ、酢酸銅はリスクアセスメントしなくていいと思ったら、そうではないらしい。640物質のリストには「銅およびその化合物」なんてのがあって、酢酸銅はその中に含まれるとのこと。
えええぇ、話が違うじゃん。じゃあ、いったいどれだけの物質があるの?この答えは調べてもなかなかわかりませんでした。やっと見つけた資料によると、リスクアセスメント対象物質の673物質(2020年現在)を化学物質ごとに展開すると4000物質以上になるとのこと。・・・ううぅ目まいがしてきた。
しかし、神の助け、うまい見分け方があるらしい。
SDSの15.適用法令に「労働安全衛生法-名称等を通知すべき危険物及び有害物」と書かれていればリスクアセスメント対象とのことだ。
SDSの束から、この文言が書かれているものを探すと、かなり減った。しかし気をつけなければいけないのは、古いSDSや英語のSDSには書かれていない。怪しいものは、厚労省のHP「職場の安全サイト」で調べることにした。少しは化学系らしくなってきたかな?

職場の安全サイト
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/

 

その4 全部やらなくていいんだ
ようやく主なSDSをそろえることができたけど、その数250くらい。作業場が15なので単純計算すると3750回のリスクアセスメントをすることになる。レポートまで含めて1回に30分かかるとすれば、合計1875時間。これって、私1人の、1年間の総労働時間より多い。とてもやってられない。いったいどこまでやればいいの?
そんな時に知人からいいことを教えてもらった。リスクアセスメントの実施は、義務になっている作業と努力義務の作業があるとのこと。新しい材料を使ったり、新しい作業を行うときは必ずリスクアセスメントをする必要があるけど、今までと同じことをやっているなら努力義務で、やらなくても罰則はないとのこと。
これはラッキー。開発部門のように新しい材料を使うところはやらなければいけないけれど、製造部門でルーチン業務を行っているところは後回しでいい。かなり気が楽になった。でも、努力義務であっても、何もやっていなければ改善命令が出るらしい。要するに、優先順位をつけて、できるところからやっていけばいいってことか。
これで、ようやく計画が立てられる。250物質のうちトルエンなど作業環境をしている物質は、その結果を使えばいいのでやらなくていい。残りの半分くらいは製造部門で昔から使っているので後回し、製造部門で新しく使い始めるものが年間10物質ほどなので、それらを優先1とする。開発部門は、常に新しいものを使うけど、使用量は少ないので優先2、そのあと後回しになったものをやる。大まかな方針は決まった。

その5 リスクアセスメントをやること自体がリスク?
SDSがそろって、対象物質も絞り込みました。あとは指針通りにリスクアセスメントやればいい、やれやれ先が見えたと安心してしまったのが大きな油断だと分かったのが数か月後でした。
セミナーや指針で紹介されているリスクアセスメントツールであるコントロール・バンディングを使ってみようと考えました。コントロール・バンディングは、職場の安全サイトに行けば無料で使えるリスクアセスメントツールです。日本語だし、入力も少なく簡単そうです。これなら自分でもできる。さっそくリストを片手に入力を始めました。使用量の多いものから順にやってみましたが、いきなり問題が発生。トルエンやアセトンを使って洗浄している作業場のリスクが高いという結果が。何とリスクレベルは4という、4段階で最も高いリスクという結果がでました。えええぇ、そんなバナナ。
さらに、リスク低減措置として、化学物質の使用の中止、代替化、封じ込めの実施と表示されました。使用中止といわれても、仕事が止まっちゃう。代替化と言われても、コストや性能から簡単には変えられない、封じ込めをするには大規模な設計変更が必要で多額のコストがかかる。簡単にできる措置ではありません。
しかも、アセトン、トルエン以外にもリスクが高い化学物質が多数出てきました。ええ?うちの作業場ってそんなに危険な作業してるの?
安全衛生委員会でも議論しましたが、なかなか結論がでません。有機溶剤で作業環境測定を行っているものは、その結果を使えばいいのですが、作業環境測定で第1管理区分になっている有機溶剤が、コントロールバンディングでリスクレベル4になるのは納得できません。
グレーゾーンの化学物質をどうするのか?すべての物質について作業環境測定をしなければならないのか・・・そんな予算取れそうもない。安全を考えて、高性能な局所排気装置を買わなければいけないのか・・・これも上司に怒られそう。または、保護マスクや保護手袋を作業者に義務付けるのか・・・現場からブーイングがでそう。
本当にリスクが高いのであれば、作業者の健康管理のため低減措置はお金がかかっても実施しなければいけませんが、この結果から所長に提言する勇気はありません。
リスクアセスメントを実施すると、ますます問題点が明らかになってきます。もしかしたら、リスクアセスメントをやること自体がリスク?

 

その6 リスクアセスメントツールはいろいろあるけれど
厚労省職場の安全サイトに多くのリスクアセスメントツールが紹介されています。
どれがお勧めですか?とセミナーで担当官に聞いてみたけれど、厚労省ではどれを勧めているわけではなく、自社の状況にあったものを選んでほしいとのこと。そんなこと言われても、どれがいいのかわからないから聞いてるのに・・・
しょうがないので、自社のリストを片手にツールを一つずつ試してみた。その感想を書いてみます(あくまで個人的感想です)

職場の安全サイト 化学物質のリスクアセスメント実施支援
https://anzeninfo.mhlw.go.jp/user/anzen/kag/ankgc07.htm

 

コントロール・バンディング
職場の安全サイトで簡単にできる。簡単さは断トツなので、これで済むものなら済ませたい。でも、トルエンやアセトンなどはリスクが高めに出ることが多く、リスクレベル4S、使用の中止、代替化、保護巣の使用なんて厳しい対策が表示される。換気装置を設置して、作業環境測定で第1管理区分の作業場でもリスクが高いと出るのは納得できない。
このように操作が簡単なツールは、暴露の推定精度が高くないので、安全のためどうしてもリスクは高めにでるようだ。

 

作業別モデル対策シート
チェックリストでどこにリスクがあるかを知って、その対策方法が書かれているシート。中小企業向けで、ほとんど科学の知識のない人用の啓蒙書のようなもの。まあ、やらないよりはましだけど、とてもリスクアセスメントとは言えないと思った。

 

CREATE-SIMPLE
コントロール・バンディングでは対応できない事業者のために、厚労省が開発したツール。かなりきめ細かな条件を入力できるので、コントロール・バンディングより暴露濃度の精度は高い。結構使えるなという印象。
しかし、欠点は、やたら入力項目が多くて時間がかかること。SDSを見ればわかることを事細かく入力しなければならない。バッチ処理にも対応していないので、うちのように250物質15作業場なんて場合、どれだけ時間がかかるかわからない。名前はSIMLEだけど、操作はSIMPLEじゃないな。厚労省さん、もう少しがんばってよ。
検知管を用いた化学物質のリスクアセスメントガイドブック
注射器のようなものの先にガラス製の検知管をつけて、業場の空気を吸うことで有機溶剤などの濃度が測定できる。その結果をまとめるためのガイドブック。直接測定するので精度は高い。確かに、いいんだけど、検知管の種類が限られていて、うちで使っている250物質全部に対応しているわけじゃない。複数の溶剤を使っていると交差反応で精度が落ちる、それに時間とコストがかかる。全部を検知管でやることはできないけれど、他の方法でリスクが高いと出たものについて、その確認(ウラをとる)のためのような使い方になるかな。

 

業種別のリスクアセスメントシート
塗装、印刷、めっきに限ったリスクアセスメントシート。うちは対象外なので調べていない。

 

ECETOC TRA
欧州REACHに基づく化学物質の登録を支援するために開発された、定量的なリスクアセスメントが可能なツール。無料でダウンロードでき、パソコンがあればだれでも使うことができる。マニュアルも職場の安全サイトにある。しかし、英語版しかないし、上級者用なんて書かれているので使うのに躊躇する。
でも、他の方法では自分の思ったことができないので、気合を入れて使ってみることにした。ダウンロード自体は簡単にできたし、ECETOC TRA自体はEXCELのワークシート(ブック)なので会社のパソコンに入れると普通に立ち上がった。問題は、ここから。どこに何を入力するかをマニュアルとにらめっこで入れていった。説明が難しいところがあったり、日本の規格と違うところがあったりしたけれど、何とか入力が終わってマクロボタンを押すと、あっという間にリスクアセスメント結果が表示された。
ふうぅ、お疲れ様って感じ。でも、結果は作業環境結果とほぼ同じで、正確な暴露濃度の推定とリスクアセスメント結果が表示された。すごいじゃん、これ使いたい。ECETOCさん、日本語版作ってくれない・・・無理か。

 

その7 いいリスクアセスメントツールを見つけた
リスクアセスメントツールをいろいろ使ってみたけれど、使い方はやさしいけれど精度の悪いもの、精度はいいけれど使い方が難しいものと、なかなか自分に合ったものが見つからないと悩んでいた時に、同業者の知人から産環協にいいツールがあるらしいということを聞いた。
聞くところによると、ECETOC TRAが日本語で使えるらしい。えぇぇ?、自分が欲しかったものだ、産環協って公害防止管理者の試験だけやってる協会じゃないんだ。
東京で開催されたセミナーに参加してみました。講師は、元化学物質研究機関の人で化学物質の安全性やリスクの専門家らしい。産環協会員からリスクアセスメントの問い合わせが多かったので、会員企業のためにこのツールを開発したとのこと。
ツールの名前は「TRA_Link」。ECETOC TRAを改造したものではなく、独立したアプリでECETOC TRAと連動して動くらしい。
ECETOC TRAで、化学物質名、蒸気圧、分子量、使用量、作業内容、保護具の種類など、あちこちに英語で入力しなければならないけれど、TRA_Linkはそれらの項目を日本語で簡単に入力できる。しかも、プルダウンで条件を選ぶことができるし、単位の返還も自動でやってくれる。あとは、マクロボタンを押すと、パラメータが英語に変換されてECETOC TRAに送られ、ECETOC TRAがリスクアセスメントを行い、その結果がTRA_Linkに帰ってくるという仕組み。つまり、ECETOC TRAが使えなくても、パソコン上にあるだけでいいということ。これってすごくない?
ここまででもすごいけれど、何とバッチ処理ができるらしい。同じ作業場で複数の化学物質を使っている場合、一覧表に化学物質のリストを作っておけば、最高250物質を自動でリスクアセスメントしてくれる。さらに、驚いたことに、厚労省通達の様式でレポートまで作ることができる。
試しに、実際の作業場で使っている化学物質を20物質くらい入力して処理してみると、ほんの数分でリスクアセスメントが完了し、レポートを作ることができた。しかも、すべてリスク特性比が1以下でリスクは低いので、リスク低減措置の検討も不要、つまりリスクアセスメント完了ということになった。すごすぎる。産環協さんありがとう。
(登場人物は架空のもので実際の人物、組織と関係はありません)