
EU委員会:クリーン産業協定について
§1 EUの政策の潮流
2024年は日本、アメリカ、EUで政治的な大きな変化がおきました。2025年になりこの変化により、徐々に企業に直接的な影響が生じる政策が具体化されてきています。
EU委員会のライエン(Ursula von der Leyen)委員長は、2019年12月1日の第1期就任に続いて、2024年12月1日に2期目の委員長に就任し2029年までの5年間のかじ取りが委任されました。2期目の施策として、2025年2月26日に「クリーン産業ディール」(The Clean Industrial Deal: A joint roadmap for competitiveness and decarbonisation)(以下CID)(*1)が発表されました。
ライエン委員長は就任以来、日本企業にも大きな影響を与えた様々な政策を打ち出してきました。
①2019年7月 政治的ガイドライン2019-2024(Political guidelines of the Commission 2019-2024)(*2)
EU委員長に就任するにあたり、2019年7月にEU議会で演説されました。
EU委員会が2019年から2024年までの期間に焦点を当てるべき主要な分野と目標を概説したもので、EUの政策の方向性を定める文書として発表されました。
演説の冒頭で政治的ガイドラインの本質を次のように述べています。
私の両親の世代にとって、ヨーロッパは長らく分断されてきた大陸における平和への憧れでした。
私の世代にとって、ヨーロッパは単一通貨、自由な移動、拡大を通じて実現した平和、繁栄、団結への憧れでした。
私の子供たちの世代にとって、ヨーロッパは他に類を見ない憧れです。それは、自然で健康的な大陸に住むことへの憧れです。
自分が自分らしくいられ、好きな場所に住み、愛したい人を愛し、望む限り高みを目指せる社会に住むことへの憧れです。
それは、新しい技術と古くからの価値観に満ちた世界への憧れです。
私たちの時代の主要な課題において、世界をリードするヨーロッパへの憧れです。
ヨーロッパ文明ともいえるこの憧れに向けて、共通の作業を枠組みすることを目的とし、今後5年間、そしてそれ以降のヨーロッパのための6つの主要な野心的項目に焦点を当てています。
(1)ヨーロッパグリーンディール(以下EGD)
(2)人々のための経済
(3)デジタル時代に対応したヨーロッパ
(4)ヨーロッパの生活様式の保護
(5)世界のより強いヨーロッパ
(6)ヨーロッパ民主主義の新たな推進
このEGDで2050年気候中立(カーボンニュートラル)が掲げれれ、途中の2030年目標が具体化されました。
政治的ガイドラインのローリングについても述べています。
これから、様々な課題やチャンスが必ず出てくるでしょう。その都度、方針を柔軟に変えていきます。しかし、このガイドラインに示した原則と目標は、決して揺るぎません。私は、この5年間をヨーロッパが国内で力をつけ、世界をリードする絶好の機会だと捉えています。
6つの主要な野心的項目は、第2期に継承されています。
②2024年7月 政治的ガイドライン2024 -29(Political Guidelines 2024-2029)(*3)
第2期EU委員長としての就任にあたりEU議会で演説しました。この内容は、2024年6月にEU理事会が採択した「戦略アジェンダ2024-2029」(*4)を受けて2029年に向けての政策を発表しました。
・EUの主権強化と課題への備え:
EUの主権を高め、現在の課題と将来の課題に対応するための備えを強化すること。
・主要な構成要素:
自由で民主的なヨーロッパ
強く安全なヨーロッパ
繁栄し競争力のあるヨーロッパ
・重点分野:
防衛と安全保障の強化
持続可能な繁栄と競争力の向上
民主主義と社会的公正の推進
グローバルリーダーシップの発揮
・環境政策の継続:
EGDで設定された目標の維持と推進。
気候変動への対応と経済の脱炭素化。
・競争力強化:
EUの産業競争力を高め、世界経済における地位を維持することを最優先課題とする。
・デジタル変革の推進:
デジタル技術の発展を促進し、EUのデジタル主権を確立する。
③2025年1月29日 EUの競争力の羅針盤(A Competitiveness Compass for the EU)(*5)
*5:EUの競争力の羅針盤
https://commission.europa.eu/document/download/10017eb1-4722-4333-add2-e0ed18105a34_en
EUがグローバル経済において競争力を維持・強化するために、環境、デジタル、産業政策など、多岐にわたる分野での戦略的な取り組みを提言しています。
・EUの競争力強化の必要性:
世界経済におけるEUの地位を維持し、成長を促進するために、競争力強化が最優先課題である。
・脱炭素化と競争力の両立:
環境保護と経済成長のバランスを取りながら、持続可能な競争力を目指す。
・戦略的な自律性の追求:
特定の国や地域への過度な依存を減らし、EUが自らの力で経済を維持・発展させられるようにすることが重要視される。
・デジタル変革の推進:
デジタル技術の発展を促進し、EUのデジタル主権を確立することで、競争力を高めることを目指す。
・単一市場の深化:
EU域内の障壁を取り除き、単一市場をさらに深化させることで、企業活動を活発化させ、イノベーションを促進する。
・産業政策の強化:
クリーンテクノロジー産業の育成や、重要原材料の安定確保など、戦略的な産業政策を推進する。
・規制の簡素化:
企業の負担を軽減するため、規制や行政手続きを簡素化する。
2025年1月20日に就任したトランプ大統領の就任演説や「アメリカ第一主義の貿易政策」などの大統領令(*6)を意識した内容と言われています。
④2025年2月26日 CID
EUでは委員長に就任後100日以内に就任演説の公約の具体的政策を決める慣習があります。この一連の取組で「クリーン産業ディール(The Clean Industrial Deal)」が発表されました。この「クリーン産業協定」に先立って2023年2月に「EGDの目標達成に向けた具体的な施策として、包括的な戦略の「グリーン・ディール産業計画」(A Green Deal Industrial Plan for the Net-Zero Age)(*7)が発表されました。
§2 政策の整理
用語が似ているので、整理します。
(1)EGD(2019年)と「グリーンディール産業計画」(2023年)の関係
・EGDが上位概念:
EGDは、2050年までにEUを気候中立の大陸にするという長期的な目標を掲げた、包括的な政策パッケージです。「グリーンディール産業計画は、この目標を達成するための具体的な産業戦略として位置づけられます。
・グリーン産業ディールはEGD実現のための手段:
グリーン産業ディールは、EGDの目標、特にネットゼロ排出への移行を達成するために必要なクリーン技術と産業の発展を促進することを目的としています。
具体的には、ネットゼロ技術の推進、産業の競争力強化、雇用の創出、戦略的自立の強化などを通じて、EGDの実現に貢献します。
・相互に補完しあう関係:
EGDが長期的なビジョンを示す一方で、グリーンディール産業計画は具体的な行動計画を提供します。
両者が連携することで、EUは気候変動対策と経済成長を両立させ、持続可能な未来を築くことを目指しています。
すなわち、グリーンディール産業計画は、EGDの目的を達成するための重要な手段です。
(2) グリーンディール産業計画(2023年)とCID(2025年)の関係
グリーンディール産業計画とCIDは、どちらもEUの環境政策と産業政策に関連する用語ですが、微妙な違いがあります。
グリーンディール産業計画は、ネットゼロ技術の推進、産業の競争力強化、雇用の創出、戦略的自立の強化などを通じて、EUのグリーン産業の成長を促進することです。
規制環境の整備、資金調達の促進、人材育成、国際協力など、幅広い政策手段が含まれています。
CIDは、EGDの環境目標を達成するために、産業政策の側面から焦点を当てた戦略です。
特に、脱炭素化と産業競争力の両立を目指し、クリーンエネルギー産業の発展を促進することを目的としています。
「クリーン産業ディール」という名称は「グリーンディール産業計画」とほぼ同意義として扱われる事も多くみられます。ライエン委員長は、EGDに上乗せする、脱炭素と産業政策をつなぐ戦略としてCIDの構築を強調しています。
両者の関係は、EGDが上位概念であり、「グリーンディール産業計画」およびCIDはその目標を達成するための具体的な手段です。両者は密接に関連しており、相互に補完しあう関係にあります。
CIDはより産業政策に重点をおいた言い方であると言えます。
つまり、両者は基本的に同じ目標を共有していますが、CIDはより産業政策に焦点を当てた表現と言えます。
(3) 新循環型経済行動計画(A new Circular Economy Action Plan 2020(*8)) と CIDの関係
新循環経済行動計画は、資源の持続可能な利用を促進し、廃棄物を削減することを目的とした包括的な戦略です。製品のライフサイクル全体を通じて、資源効率を高め、環境負荷を低減することを目指します。
具体的には、製品の設計、生産、消費、廃棄の各段階における循環性を高めるための措置が含まれます。
より上位のEGDの概念の中で、相互に補完しあう関係にあります。循環経済行動計画が資源の循環的な利用を促進する一方で、CIDはそれを産業政策の枠組みの中で実現しようとします。
CIDは、循環経済の原則を産業プロセスに統合することで、資源効率を高め、廃棄物を削減し、持続可能な産業構造への転換を目指します。
両戦略は、資源の持続可能な利用と産業の脱炭素化という共通の目標に向かって連携しています。
すなわち、新たな循環経済行動計画はCIDの目標を達成するための重要な要素であり、クリーン産業ディールは循環経済の原則を産業界に浸透させるための枠組みを提供する、という関係です。
このように、2050年気候中立実現のために、政策から施策へ、そして施策から法律へと揺るぎのない信念で政策展開がされています。
§3 CIDの具体的内容について
CIDの中核となる産業変革を推進するための主要な戦略的項目が次です。
①手頃なエネルギー (Affordable Energy):
産業競争力の基盤たるエネルギーコストの低減を期し、持続可能かつ安定的なエネルギー供給を確保する。
②クリーン製品への需要促進 (Boosting Demand for Clean Products):
環境負荷の低い製品への市場需要を喚起し、持続可能な産業構造への転換を加速する。
③クリーン移行への資金調達 (Financing the Clean Transition):
脱炭素化を推進するための大規模投資を誘引し、革新的な技術開発と導入を支援する。
④循環性と材料へのアクセス (Circularity and Access to Materials):
資源の効率的な利用と循環型経済の実現を目指し、持続可能な材料供給と廃棄物削減を追求する。
⑤地球規模での行動 (Acting on a Global Scale):
国際的な連携を強化し、地球規模での脱炭素化を主導し、グローバル市場における競争力を確立する。
⑥技能と質の高い雇用 (Skills and Quality Jobs):
産業変革に必要な高度な技能を育成し、質の高い雇用を創出することで、持続可能な社会経済の発展に貢献する。
日本企業にとって関心の高い循環性と材料へのアクセス (Circularity and Access to Materials)の記述要旨は以下です。
このセクション(§5)は、EUが循環型経済を推進し、原材料への安全なアクセスを確保するための戦略を詳述しています。
EUは、不安定な供給業者への依存を大幅に削減し、供給の混乱を防ぐために、原材料および二次材料の調達においてより戦略的であるべきです
。循環性は、イノベーションの推進力となるべきです。脱炭素化戦略の中核に循環性を据えることで、EUは不可欠な材料の価格と入手可能性を改善するだけでなく、材料が再利用、再製造、リサイクルされ、より長く経済圏内に保持されるため、依存度も低減します。
EUの再製造市場の循環的潜在力は、現在の310億ユーロから2030年までに1000億ユーロに成長し、50万人の新規雇用を創出すると予測されています。これにより、EUの工業生産はより持続可能になり、脱炭素化が加速され、資源の安全性が向上します。
(i)主な施策:
・重要原材料法(Critical Raw Materials Act)の迅速な実施:
重要原材料へのアクセスを確保するため、2025年3月に戦略的プロジェクトの最初のリストを承認し、サプライチェーン全体の多様化と公的および私的資金支援へのアクセスを促進します。
Aggregate EU(EU加盟国やエネルギー共同体の企業が参加できる、ガスやエネルギーの共同購入の仕組み)の経験に基づき、需要集約のためのプラットフォームと戦略的原材料のマッチングメカニズムを構築します。
ドラギ報告書(The future of European competitiveness)(*9)の勧告に従い、関心のある企業に代わって原材料を共同購入するためのEU重要原材料センターを設立します。
・循環型経済法(Circular Economy Act)の制定:
2026年に循環型経済法を採択し、単一市場を基盤に循環型移行を加速します。
循環型製品、二次原材料、廃棄物の自由な移動を可能にし、高品質のリサイクル材の供給を促進し、二次材料と循環型製品の需要を刺激し、原料コストを削減します。
e-廃棄物に関する既存の規則を改正し、廃棄物から貴重な二次原材料への移行を促進するため、「廃棄物の終了」基準を調和させ、拡大生産者責任を簡素化、デジタル化、拡大します。
金属スクラップの使用を奨励し、解体許可と事前解体監査の義務的なデジタル化を推進します。
プラスチックのバージン化石材料の代替として、リサイクルおよびバイオベースの材料などの新しい原料源の使用を義務付けます。
・リサイクル能力の強化:
重要原材料法で設定された25%のリサイクル目標を達成するため、EU内の重要原材料廃棄物のリサイクルを輸出よりも魅力的にするための追加措置を検討します。
より効果的な分別収集を通じて、埋め立てから再利用およびリサイクルへの転換を奨励する措置に取り組みます。
ブラックマス(black mass:リチウムイオン電池をリサイクルする際に得られる貴重な金属が含まれる微細な粉体)に関する特定措置を採択し、EUのバッテリーリサイクル業界の供給不足を解決します。
・投資の促進と協力の強化:
加盟国と関心のある経済主体との協力を、リサイクルの規模の経済とスマートな専門化を促進するための地域間循環ハブを通じて促進します。
クリーン技術のための循環型先端材料に関する潜在的な新しいIPCEI(Important Projects of Common European Interest:EU加盟国が共同で取り組むEU共通利益に適合する重要プロジェクト)の設計において、加盟国を積極的に支援します。
市場参加者からの意見を収集するための事実調査を実施し、原材料のリサイクルにおける産業界の協力の必要性を評価します。
二次製品に埋め込まれたVAT(Value Added Tax)の問題に対処するため、グリーンVATイニシアチブ(*10)の一環として、VAT指令((EC)2006/112)(*11)に含まれる中古スキームに関する規則を見直します。
・利害関係者との対話:
循環型経済法の準備を支援し、さらなる努力が必要な分野を特定するため、循環性に関するクリーン産業対話を開始します。
・肥料セクターにおける循環性の推進:
低炭素肥料やリサイクル栄養素からの肥料を含む国内肥料生産は、肥料輸入と排出への依存を減らし、循環型ビジネスモデルを促進し、農家の投入価格を削減します。
これらの施策は、欧州が持続可能で資源効率の高い経済を構築し、グローバルな競争力を維持するための基盤となります。
スケジュールは次です。
主要アクション – 循環型経済の推進(材料とリソースへの安全なアクセス)
i.重要原材料法に基づく戦略プロジェクトの最初のリスト:2025年1/四
ii.エコデザイン作業計画の採用:2025年2/四
iii.戦略的備蓄の共同購入と管理のための EU 重要原材料センター:2026年4/四
iv.循環型経済法:2026年4/四
v.グリーン VAT イニシアチブ:2026年4/四
vi.地域を超えた循環型ハブ:
KPI(Key Performance Indicator)は、循環型材料の使用率を現在(*12)の11.8%から2030年(*13)までに24%に増加としています。
§4 The Brussels Effect
コロンビア大学のアヌ・ブラッドフォードの法学教授が、EUの規制がグローバル市場に与える影響力を“The Brussels Effect”という概念で説明しています。
・EUが設定する規制基準が、EU域外の企業や市場にも影響を与え、事実上のグローバルスタンダードとなる現象を指す。
・これは、EU市場の規模の大きさや、EU規制の厳格さなどが要因となり、企業がEU市場へのアクセスを維持するために、EUの規制基準に従わざるを得なくなることで起こる。
・結果として、EUの規制が世界中に広がり、他の国や地域もEUの基準を採用する傾向が見られる。
Trump2旋風が吹き荒れていますが、EUは2050年を見据えての長期的取組をしていますから「クリーン産業ディール」が徐々に世界のデファクトになると思われます。
引用
*1:CID
https://commission.europa.eu/document/download/9db1c5c8-9e82-467b-ab6a-905feeb4b6b0_en?filename=Communication%20-%20Clean%20Industrial%20Deal_en.pdf
*2:政治的ガイドライン
https://commission.europa.eu/document/download/063d44e9-04ed-4033-acf9-639ecb187e87_en?filename=political-guidelines-next-commission_en.pdf
*3:政治的ガイドライン2024 -29
https://commission.europa.eu/document/download/e6cd4328-673c-4e7a-8683-f63ffb2cf648_en?filename=Political%20Guidelines%202024-2029_EN.pdf
*4:戦略アジェンダ2024-2029
https://www.consilium.europa.eu/media/4aldqfl2/2024_557_new-strategic-agenda.pdf
*6:大統領令
https://www.whitehouse.gov/presidential-actions/2025/01/america-first-trade-policy/
*7:グリーン・ディール産業計画
https://commission.europa.eu/document/download/41514677-9598-4d89-a572-abe21cb037f4_en
*8:新循環型経済行動計画
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?qid=1583933814386&uri=COM:2020:98:FIN
*9:ドラギ報告書
https://commission.europa.eu/document/download/97e481fd-2dc3-412d-be4c-f152a8232961_en
*10:グリーンVATイニシアチブ
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:32021D2258
*11:VAT指令((EC)2006/112)
https://eur-lex.europa.eu/eli/dir/2006/112/oj/eng
*12:現在:
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=celex:52020DC0098
*13:2030年:
https://single-market-economy.ec.europa.eu/publications/2025-annual-single-market-and-competitiveness-report_en
一般社団法人 東京環境経営研究所
(2025年4月)